俺の学校生活

俺ももれなく、学校に行ったわけだが、まー俺は変人の為に、だーれとも口を利かなかったし、別にそれで困るという事もなかった。しかしながら当時のクラスメイト達はそんな俺を特別変な奴扱いをしなかった。(特別変な奴だったのだが・・)
今思えばいい奴らだったなと思う。年齢もバラバラだったし、女性は確かに多かったが、3:1くらいだったので圧倒されるというわけでもない。俺は勉強して、勉強して、勉強して早く障害者支援に戻りたい一心だったので休み時間(飯も食わず)も勉強していた。
変だろ?俺。だけど、級友たちはそんな俺に「おっ今日もやってるねー」とか「今日お昼食べないからちょっと隣で一緒に勉強していい?(甘い感じではないぞ)」などと何かと声をかけてくれたので全然疎外感がなかった。
当然、半端なく勉強してたので成績は良かったので、俺は小学校から初めて「出来る子」になったんだよ。そんな学校生活の教科書が医学書院のものだった。

懐かしいね +1 !



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看護師になるには
まず、「保健師看護師助産師法」という法律上では、「看護師」と「准看護師」に分類されている。看護師と准看護師の違いは看護師は厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくは、褥婦に対する療養上の世話又は診療の補助をなすことを業とする者をいう国家資格である。准看護師は都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、傷病者若しくは、褥婦に対する療養上の世話又は診療の補助をなすことを業とする
俺の学校生活
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医学書院という会社
医学書院(いがくしょいん)は、医学系出版社。1944年(昭和19年)、日本医学雑誌株式会社として創立。1950年(昭和25年)株式会社医学書院と改称し現在に至る。本社は東京都文京区本郷。2007年(平成19年)4月まで東京大学赤門の並びに社屋を構えていたが、同年5月、春日通りに面した新社屋に移転した。医学雑誌、医学書籍、医学辞典などを発行する出版社の中でも最大手。医学生向けの教科書「標準」シリーズ
看護師として障害者支援にあたって
医学書院の教科書を真っ黒にして、狂ったように勉強したあの頃は俺にとって宝物である。宝物を持って、俺は今の障害者支援という仕事についているわけだが、障害者支援を医療従事者としてみる時、医療従事者特に看護師は今後、新たな役割を担うことになる。それは従来の「担い手」としての役割だけでなく、「教育」の部分である。俺のコラムで少し触れているが、介護福祉士がある一定の研修を経て限られた医療的なケアを合法的に行